Vol.12
2005年
春季
表

[写真]信原 修
[作庭]斉藤澄夫
[題字]島津碧嵒
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庭園をデザインする 白井 隆さんへのインタビュー
●もともとは映画の仕事に携わっていらしたようですが、造園に転身されたきっかけは何だったのでしょう
映画やドキュメンタリーが好きで、学生時代から舞台や映像の仕事に携わってました。推薦してくれる人がいて、米国へ行き映画やテレビの仕事を30歳位
までしていました。最終的には市民権を取るかという段まで来たんですが、映画界は中に入ると見栄っ張りも多いし、血筋やらでまさに芸能界なんです。20代でこう華やかな世界にいたら、後は落ちていくばかりだと少し危惧もし、何だか気が済んだ感もありました。
そういう僕を見て幼馴染が「お前に会わせたい人がいる」と。人の運命を助ける、神様の使者になった「お婆チャン」だと。その手のものは嫌だったんですけど、3年位
真剣に言われて、我を折って行きました。
その頃に結婚しました。女房の父親が造園を教えていまして、ふと庭をデザインするというのもあるかなと。舞台美術もやってましたから、構想やロケーションから構造物を作ることや、チームワークも分かる。庭を学ぶなら日本か英国だということで夫婦で英国に渡り、帰国したらガーデニングブーム。幸運にも女性誌が女房を取り上げてくれた。暫くは女房に働いて貰い、僕は3年間ほぼ毎日、お婆チャンの所へ通
った。芸能界の華やかで物凄い競争社会から、人として大切なのは何かというところへ考え方を戻すことを徹底的にやらされた。自分で自分のあら捜しをして向き合わされる。それは精神的に厳しい作業でしたよ。
●白井さんの庭作りのコンセプトについて伺えますか
設計する側は施主の考えを引き出し構成するメディアであって、施主が欲しいのは自分らしい暮らしの場です。だから僕の個性を売るのは間違いだと考えています。
庭は住まい手の暮らしの思想を形にしたもの。そこに美意識を求める人もいれば、収穫の喜びを求める人もいます。その人が生まれて死ぬ
ことにどういう考えを持っているか、あるいはどういう生活文化を受け継いで来たかも考える必要がある。だから、まず住まい手と付き合い、結構いろいろと聴かせて貰うんです。とば口まで出てきてくれるように。そこでは自分の予断や感情を取り下げる。そして、この人の場合はどうしたら答えが出るかと、それを考えるのが8割です。抽象的ですが。住まい手の文化にないものを作っても、残念ながらそれは生かされない。だから出来上がりの成否は施主の実力が7、8割です。
自然という観点では、庭は、都市にあっても里山と考えています。つまり人が働きかけることで恵みを得られる場。そういう自然は人が正しく関わることで美しいさまざまな表情を見せてくれ、恵みを分けてくれる。だから、そこにあるものを素直に見ようと努めています。英国に「土地の神に耳を澄ます」という言葉があるんです。土や石、風土、先人の工法・意匠・思想などを素直に見る。そこからデザインを積み上げる。これはお婆チャンから学んだ人間の道理にも通
じるように思いますね。
●施主とは具体的にはどのようなやりとりをするのでしょうか
仕事の依頼は大別すると二つあって、個人邸と、規模の大きな集合住宅や施設などの場合です。前者を例にした方が身近でしょうか。
例えばご主人が60代なら、ある程度その人の文化は出来上がってますし、後20年生きられるか一日でも惜しい。そういう時は僕も目一杯絵を描きます。後は条件を考えて引き算してもらう。
でもご主人が40代で仕事に目一杯で、後10年は戦々恐々と働かざるを得ないとしたら、「このくらいローンを組めば、ボーンとこんな庭が出来ますよ」というのはやりません。まずは例えば50万円で、何かアイデアがあったらそれを少し作らせて頂く。暮らしの装置を作るということがどういうことかを経験して貰うんです。そうすると、出張先で街並みを見て何か感じたり、次第に自分の人生になかったものが見えてくる。そうやって成長過程に従って少しずつ進めていく。
団塊の世代がここ1、2年で定年を迎え、その4割は郊外や田園を志向しているそうです。しかし往々にして潜在的にご主人と奥さんの求めているものが違う。奥さんは少しお金と時間ができ、いい物を見たりしている。何があれば満足かが大体分かってくる頃です。一方で、ご主人はそういうチャンスが少ないから、意匠にこだわる人は少ないんです。ですが奥さんが突っ走っても実は余りいいものができない。男がやる気にならないと。それを上手くリードする。
そうした調整の過程でデザインは大体出来るんです。植木や素材の選択とか、勾配をどうするなどは、一番最後のところ。それはテクニックであって、プロなら出来て当たり前なんです。
●ガーデニングが流行語大賞を取ったのが1997年。以来、根強い感がありますが
ガーデニングの勉強に英国に行って、つくづく、日本の庭園は素敵だし、後背地の自然の厚みや豊かさは比類ないものだと感じました。けれど、明治以降は庭園文化を育てる余裕がなかった。富は庶民に分配される過程であり、庭園はある程度の富がないと考え及ばないし。それは仕方がない。
英国を選んだのは、近代を100年くらい先に経験しているからです。国をどう立て直すか、庶民はガーデニングを通
じてモダンな生活の中でどう自然との接点を楽しむかを考え、そうした文化の蓄積が沢山あるから。チェルシーフラワーショーなどを見に行って、良い意味でこれは別
世界だと痛感した。これは日本にきちんと紹介しよう、これは日本人の要求に応えられるものだと感じた。同時に、日本の国柄なら3年もあれば使い勝手やデザインをアレンジして、日本の近代的な文化を創っていくだろうと思いました。間違いなく流れとしてそうなるだろうと。僕はガーデニングの本質は、「生活文化運動」と感じています。
●最近は純和風の庭よりモダンな庭が人気のようですが
どこか堅苦しい印象があるからでしょうかね。ですがむしろ、本質は別
の所にあるように思います。
最近は子供たちが職人に憧れているそうですね。職人の仕事は、仕事が身の回りで完結し、客の顔が目の前に見えるからですかね。
職人は家で絵を描いていてもその一日分は日当を貰えないし、身体で仕事を覚えているから、自分の方法で仕事をやる。だから職人ごとにどうしても癖やばらつきが出ます。今、私たちは青森でも沖縄でも同じ均質な素晴しい工業製品を手にすることができる時代です。そういう時代に、私達はばらつきのある職人をどう使うかを学んで来なかったんだろうと思うんです。でも、施主が職人を使う楽しみが分かれば、逆に型どおりの和風庭園でなくても職人は活かせます。職人を使おうとしないのは非常に勿体ないことなんです。
だからデザイナーがメディアになって翻訳するんです。最初はそれがなかなか分かって貰えなかったですよ。庭をデザインするということを知ってもらうこと自体に時間がかかりました。
●『庭の旅』を読んでいると、地域丸ごと庭と思いたくなります
地方に行くと、白木に黒い瓦屋根の家が並んで綺麗だったりしますね。江戸時代は封建社会だったから、素晴らしい計画が実現できたんです。農村にも細かく規制があった。だから風景ができた。パリの街も、ルイ王朝の時に強権で大都市計画をやってます。ロンドンも。米国もパークシステムなどで景観を作っている。日本も江戸時代に一度チャレンジした。でもその後、空襲や、戦後に一気にやってきた工業製品の波と災害対策で、木と土と紙の国が、一時的にコンクリートにせざるを得ない貧しさがありました。そう考えると風景が荒れた訳が分かりますよね。だけどそれは悪く言えない。必死の思いで考えてきた人がいた訳です。でもある程度の富ができて、風景を考える余裕ができてきた。そうなると日本はみんなが一所懸命やる国柄だから、機が熟せばかなりドラスティックにやると思います。
●「21世紀の集落は人々に幸福を約束する『庭園』として自覚的に構成されなければならない」とありました。『庭園』に込めたい意味を、もう少し聞かせて下さい
僕はこの本に、いいことばっかり、掛け声ばっかり書きました。(笑)だから少し照れる面
もあります。
これまで、ディベロッパーはデザインを考える余裕がなかった。戸数を確保し、借入れて返済し、売り切って、必死だった。国も住宅を廉価に分け与えることが目標で、暮らし方や土地のアイデンティティまで考える余裕がなかった。それは仕方のないことです。
でも、これほど大量に日本人が外国を見聞して、暮らしの要求も高くなってきたら、人の成熟に合わせてもう一歩踏み込んで考えなければならない。行政も英国などの方法論を借りてやり始めましたし、グリーンベルトや楽しみの道など全国的に動き始めましたね。その考えるための思想を「庭園」というところに求めようというのが私の掛け声です。日本語なら「庭園」という言葉が一番相応しいように思った。この言葉に、人の暮らしの豊かさを込めたいと思う。実現は至難の業ですが、私が答えを出さなければならないとは思っています。
(2004年12月18日 鎌倉の白井さんの事務所にて)
白井 隆(しらい・たかし)
『庭の旅』(2004年・TOTO出版刊)著者。庭園都市計画家。1955年生まれ。慶應義塾大学経済学科卒。学生時代から寺山修司の助手や脚本・舞台演出・舞台美術を手がけ、大島渚監督に誘われ「戦場のメリークリスマス」のラインプロデューサーを務める。以降、米国アトランタのWTBSにおける長編記録映画の監督・プロデューサーを経て現職。第一回東京ガーデンショー(2000年)総合プロデューサー。庭園デザイン施工、建築設計。
現在も多数のプロジェクトが進行中。 |
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