風カルチャークラブ 風の旅行社
ニュース プログラム 開講記 About us

TOP > バックナンバー一覧 > Vol.10 > コラム

Vol.10
2004年
夏季



[写真]鴇田康則
打瀬網漁船
熊本県不知火海




[写真]鴇田康則
簾立て漁
千葉県木更津市

「里海」という海 瀬戸山 玄さんへのインタビュー

●里海について書こうと思ったきっかけは何ですか
 90年代にアウトドア雑誌に海辺を巡る企画が丸3年近く続いて、普段行けない海辺を30ヶ所くらい巡ってたんですね。ほかの雑誌でも10数ヵ所やって、50ヶ所くらい巡ってるんです。海辺のその場所ならではの地形地勢あるいは生態系があって、そのバリエーションの多さが面 白いんですが、日本の海全体をひとつに括ることがすごく難しい。このままでは多分何も分からないまま、自分が50ヶ所回ったということが無駄 になるんではないかという思いもあって共通項を絞り込むなかで、今伝えることは何なのかということを取材をやりながら、あるいは終わってからも考えながら、実は3年ほど寝かしてたんです。本を出す話が徐々に固まってくるなかで出てきたのが「里海」だったんですが、個々の生態系の違いを含みながらも共通 項として「里海」という一点だけをきちんと押さえておけば、そこでの現状が自然環境に対してプラスに働いているのかマイナスに働いているのかがなんとなく見えてくるんですね。海の話は分かりづらいし、都市というのは現代文明の異常なくらい凝縮された形なので、そこから海を見ても何も見えてこない。というのは暮らしの足場がぜんぜん海の方に向いていないから。海辺というのは四季があって魚も移り変わるし台風の季節にも見舞われるし、危険も隣り合わせている。僕らにとって不都合な自然も押し寄せてくるわけです。そういう両方を見ている人は地元にしかいなくて、日常的に見ている人の言葉をクローズアップしたほうがいいんではないか。海辺と人間の関係が曲り角に来ていることは事実です。それもあってタイムリーかなと思いながら、「里海」という言葉で括ったんです。
 「里海」という言葉は瀬戸内海についての論文の中で使っている学者がいくらかいたようですが、それは瀬戸内というひとつの空間の中で限定された形で使われていた言葉で、僕が一番言いたかったのは北海道や九州でも沖縄にも里海という関係はあるだろうし、そういう共通 項としての里海というものが考え方として広がればいいかな、今よりも少しよくなるかなと。
 「里山」という言葉を最初に提唱した四手井綱英さんという90いくつかになる日本の森林学の草分けの方の本を何冊か読んだんです。四手井さんは日本だけではなくて海外の森という森をくまなく見たんです。その中で生まれた言葉であって、ただ響きを真似すればいいと僕は思ってないので、四手井さんがその言葉をひねりだしたと同じように、僕も最終的に里海という言葉を選んでみたのです。
 ただすごく気をつけないといけないのは、里山がそうなりかけているように、単なる言葉だけが残っていて、うまく関係というものを見据えないと、ある風景が「里山っぽい」とか「里山系」とか呼ばれてしまうようなことではなくて、里山というものの規定をきちんとしていくのも必要なのと同じように、里海に対しても、なんとなくこじんまりとした湾があるとそれを見て「里海っぽい」と言われるのは心外なんですね。風景の問題ではなくて関係の問題だから。関係は風景に も反映されるんですが、同じ海でも自然条件の舞台が変われば見え方がまったく変わるわけですよ。
 だから、里海という舞台の上で暮らしている人の言葉を聞くとか細部を見るとか、そういうことでしか最終的には伝えられないと思う。僕がこの本でやろうとしたことはレンズで拡大して見せる作業だったと思うんですね、その現場を。あえて8つの話に絞り込んだのは一番伝わりやすい話として選んだという感じです。

●瀬戸山さんにとっての里海の原点はどんな風景でしょうか
 小さい時に過ごした鹿児島の薩摩半島の小さい町に小さい川の河口があって、引き潮の時に子供達が河口に泳ぎに行くような場所で、風景としては漁港があって木橋が架かっていて、濃い松林のところが砂丘になっていて、外が東シナ海で、だから波も荒いんですね。獲ってきたシラスを干す場所があったりとか、港は港で極々小さい港で周辺に干潟があるわけです。汽水域ですよね。非常にコンパクトな汽水域で、汽水域というと大きな川を想像しがちなんだけど、小さなそうした世界というものをきちんとそれぞれ持っている。大人になっても子供の時でも行動範囲の中にある海辺をひとつの里海として認識しててもいいと思うんです、原点という意味では。そうでないと海全体を相手にした時にわけが分からなくなる。海洋学の分野に進まないと里海の方も分かんなくなる。ただよくしたものでこういう小さい、言葉を変えれば小宇宙的なものの中にもエッセンスがすべて含まれているんですね、海としての。環境でいうとこんな風景が個人的な原風景だったんですが。

●海と山とは根本的に違うところがあるのでしょうか
 ひとつ言えることは日本の場合、江戸時代よりもっと遡る時代から、漁業権によって海イコール漁民のものだという刷り込みがあって、それに対するどこか遠慮があったんで、なかなか近づきがたいような印象がありますよね。かたや山はモータリゼーションが発達してどんどん入っていけるようになりましたよね、道も次々と良くなり。その差は大きいでしょうね。海は日常、漁業として生業としてぷつっと切られてるんで、それ以外の中間の趣味的な分野が育ちづらかった。そこへいくと沖縄なんかでは春になると「浜おり」といって海に降りて、好き勝手に貝なりタコなりを獲るんです。漁業権の歴史や世界観が沖縄は本州とぜんぜん違いますから。
 日本には海で皆が楽しめる環境がなかったんでしょうね。だから明治時代に海水浴が仰々しく導入されたり、逆に言うとそれまで導入されなかったということは海辺に近づかなかったし海辺で遊ぶなんていうのは漁師の子供ぐらいじゃなかったのかな、おそらく。

●里山は人が積極的に管理することをよしとしますが、里海に対しては「リカバリー」の意味合いを感じるのですが。
 そうなりがちですね。海の復元力の限界を超えたということではないですかね、ここ20年ぐらいの間で。もちろんそれに気づいてリカバリーに動いているような人もいるわけですよね。これまで海辺は埋め立ての対象で工業地帯を作って、代わりに日常の楽しみは遠くに求めるようになったんですね。足元の海辺は金を生む装置であって、当然そこは使えなくなるわけですよ。泳ぐとか釣りをする楽しみを奪われて、どこへ行くといった時に、お金できたからもっと遠くのリゾートへ行きなさいという話になって、分離されるわけですよ。よく言う台詞はどこどこは10年前はよかったけど最近はだめだね、と言いますよね。そうやって全部、文明で塗りつぶしてきちゃった。塗りつぶして、多分もうあとがないよというところまで行ったんで、リカバリーの段階に入ってるんじゃないのかな。

●瀬戸山さんは里海を、“海辺の生態系と人間の営みとが分かちがたく結ばれ、バランス良く風土を醸す関係”と定義しています。その結び目が緩んだりなくなったりする流れがありますが
 多分見えなかったんでしょうね。人間のものを認識する際の視覚とか視野は、最初狭い小さいところから出発して徐々に広がっていきますけど、近代から現代までにかけて自然の生態系を深く認識するようになりましたよね。海洋学の分野でも調べる装置が様々に発達し、それでようやくシステムが見えてきた。でも全部が見えたかといったら多分100分の1も見えてないと思うんですけど、それなりに見えてきたことで、実はとんでもないことを犯してきたと気づくのが今の時代なんだと思うんです。だから見えない時はなにやってもいいって思ってたんじゃないですか。だから結び目が緩むことにもなったし。
 漁師の話というのは時間軸がぷつぷつ切れてるんですけど、昔はすごく獲れたんだというので、何時だって聞くと20何年前のことを昨日のことのように語って、またあの時のようなことがやって来るのではないかという期待感の中で生きてる漁師って結構多いですよ。だから止めない。すごい不漁なんだけどいつか逆転するんじゃないかと、変な思い込みあるんですよね。漁師さんも今はそういう意味では色んなことを勉強するようになり、やっぱりそれは期待しても虚しいことであって、自分らが育てる漁業をしなくちゃいけないと頭を切り替える人達も多いわけですね。唐桑の畠山重篤さんなどもそうですが。
 もうひとつ気をつけないといけないのは、ある環境を見限る見捨ててしまうというのが良くないと思うんですよ。例えば干物ひとつにしても発想を変えた佐藤さん(江名)の出現で徐々に変わっていったということではないですかね。

●海岸法が99年に“安全で、美しく、いきいきした海岸を目指して”を掲げて43年ぶりに改正されましたが
 テトラポッドの人や工事関係者に聞いても、もうこれ以上工事の仕様がないんだと皆知ってるわけですよ。いじったら社会的に批判を浴びるのは分かってるし、国としての経営状態も決してよくないから、なにができるのかコンセンサスを取り付けながら、やれることをやるしかない。それもあって海岸法の改正があった。もちろんそこには普通 の日常の暮らしを楽しめるようにという思いを持ってる人達もいて、それが成文化されたんだと思います。これはどっちかというと、主流は工事業者のための新しい指針を与えたんじゃないかなとちょっと疑って見てるんです。堤防もごついものではなくて外からは見えない水面 下に作れとか、すり替えのようなところも結構あるんじゃないかなと思うんですけどね。経済システムがどんどん大きなものに切り替わってきましたよね。企業体は常に発展する、大きくなることを前提にした考え方だから、小さい工事より大きい工事の方がいいんだという発想になるんです。ただただ発展、巨大化する企業とかのやり方が正しいのかってすごく疑問があって、きちんと理に叶ったやり方をやれば、大きいとか小さいとか関係ないじゃないですか。

●瀬戸山さんは等々力の有機農家に3年程通 いつめていますが、里海と相通じるところはありますか
 ありますね。都市って人間の意識が作り上げた人工装置ですよね。不確定要素を全部排除するのが都市ですよね。そうすると人間の思考が衰えて、都市の中だけで生きてると人工的なものが全てみたいな発想になっていってしまう。ただ地球全体で都市をみると東京とかは割に大きいけど、自然が支配している空間のほうが圧倒的に多いわけですよね。そういう圧倒的に多い方のことを忘れないためにも、都市の中に畑があったほうが絶対いいと思う。それは自然に対する窓口だと思っているんで、生の土があって、なんで有機農法かと言ったら、都市の中で農薬なり化学肥料を使うのはそれもまた人工の方向に走るんで、都市だからこそ有機農法をやることの意味がある。そうするとそこに虫が来てそれを食べる鳥が来てみたいな、小さいながらも小宇宙が復活するんです。そのくらいの復元力を自然が持っている。だから都市の中に畑は残すべきだし、都市型農業はものを認識したりする上で生産するだけではなくて教育の場とか視覚的な意味も含めて残した方がいいという、海と同じ論理ですよね。海は海で、里海というのは分かりやすいと言えるかもしれないですね。広大な大海原を見てそこで海を親しく感じるのはなかなかむずかしいです。そのためにも里海という親しみを持てるような関係を作っていく、それと一緒で都市型農業があってもいいという、共通 項としてそういうことも考えますね。

●里海のある地域と内陸の農村や山村との文化の違いはあるでしょうか
 文化と言った時に僕なんかは造船所の文化より、東京にいると文化って東急文化村でバレエとか映画を観るとかそっちを思ってしまう。だけど、地域社会に生きてると例えば交流があるんですね。交流がまず文化の接点だと思うんですけど。他者と他者が交わることで、二つの交わったところからもうひとつ別 なものもありますよね。そこのそういうものが文化だとすれば、木造船の造船所というのはオリジナルなものを作ろうとするから、小さいけれどそれは里海文化だと認識してます。FRP船(強化プラスチック製の船)は型を借りてきて作るから、地域に即してなくて効率性だけの世界です。余裕がないですよね、地域に対して。だから地域との密着度を前提にしないと里海文化というのは出てこない訳です。
 山とか里山もそうですけど、育てるということが最初にあるじゃないですか。林業でもなんでも山にずっと通 って山の状態を認識しながら育てていくというのが里山的文化だとしたら、里海的世界はもうちょっと広いですよね。境界線がない世界だし、境界線のない世界の大らかさがあるんじゃないですかね。船乗りが船を大きくしたがるのと相通 じているのかもしれないですね。あそこまで行けたんだったら、もっと遠くまで行けるようにしたいみたいな。里山でそれはできないですよね。線引きやって隣の人の土地だったりするわけで、そういうことってあり得ないじゃないですか。里海的世界はある種の機械文明との兼ね合いの中でどんどん広がっていくということも言えるんでしょうね。

●里海、里山の両者の間に、自然観の違いはあると思いますか
 多分ありますね。漁師の人が言うんだけど、肥料もやらないで獲れるんだって。そういう収奪の構造があったんじゃないですか、江戸時代から戦前、戦後もしばらく。魚は前を泳いでるんだから来たら来るだけ獲っちゃえばいいんだって。海での大漁とか豊漁とかって半端じゃないですからね。3日3晩徹夜で魚を揚げて腐らさないように塩漬けにしてとかの話はあっちこっちで聞きますもんね。来たら獲ってしまえみたいなのがずっとあったから、やっぱり風土が変わってきますよね。そして今度来なくなるとぶつぶつ皆が言い出すわけです。来なくなった理由が長いこと分からなかったんですね。そしたら実は山とか陸とかの関係が見えてくるじゃないですか。太平洋ってあれだけ広いですけど、魚のいる地域なんて真ん中なんてあまりいないんです。カツオとかは回遊魚なんで例外的なんですが、沖へ出れば出るほど獲れるかと言えばとんでもないですよね。大陸棚の200メートルぐらいまでの海辺がずっとあって、大陸棚はかつて地上に出てた部分らしいんです。地上に出てた部分が暮らしやすい地形だったりとかそういうものができてるらしいんですね。ブリとかは60メートルくらいの等深線を回遊するそうなんですね。富山湾で調べて分かったらしいんですけども。そういうことを含めて、長いこと分からなかったことがここ20年くらいの間に海洋学は驚異的に進歩したんじゃないですか。

●里海はこれからどうなっていくのでしょうか
 やさしい発想を持つような人がいれば少し回復する余地はあるでしょう。海洋資源は激減の方向に行ってるんで、かなり際どいところに来てるんじゃないですかね。際どいところに来てるんだけれども、多くの人がもう一度里海的なところに目を向ければ、ひょっとしたら取り戻せるかもしれないでしょうね。
 多摩川が大分よくなったというのも、例の「タマちゃん事件」の時も、アゴヒゲアザラシがどう移動しているかと言えば基本的に汽水域だと思うんですよ。潮の満ち引きで満ちたときにある地域に上がって来て、それを利用しながら移動してるんだと思うんです。町の川に実は海が入り込んでいるという現実を誰も忘れてるんですよ。数キロ以上に亘って入り込みますよね。都市部だと平坦地で標高差がないから大分入ってきている。だからそういう事実をどんどんドブ川化する中で忘れてきて、ドブ川化してもやっぱり海辺の干満差というのはちゃんと生きてるんですね。月と地球との関係ですから。そのことを思えなくなったという辺りが都会の悲しさで、里海的なものはこちらが求めれば戻って来るんじゃないですか。

●バランス良く風土を醸す関係を創っていくには、何が必要でしょうか
 押さえなければならないことは主役が誰かということだと思うんです。主役は間違いなく自然としての生態系の方ですね。どんなに人工で人間の知識が深まっても、海辺との関係で言えば干満差を人間が阻止できるかと言ったら基本的にできない、しちゃいけないことだと思う。それからしても明らかなように主役は海としての機能を残すことで人間も潤うということじゃないかと思うんです。そこから食べ物を得てるということもそうだし、川とかの話もそうだし、バランス良くってのはもう十分に人間はある意味でバランスを犯して収奪し尽くしているのだから、今度は向うの意向を汲むということではないですか、やっぱり。
(2004年3月29日、自由が丘にて)

※写真は宮城県唐桑の漁港 撮影:瀬戸山 玄


瀬戸山 玄(せとやま・ふかし)
1953年、鹿児島生まれ。早稲田大学文学部卒。ドキュメンタリスト。『東京ゴミ袋』(文藝春秋)、『彼女の居場所』(文藝春秋)、『テレビを旅する』(小学館)などを著し、昨年12月に『里海に暮らす』(岩波書店)を構想10年の後、出版。今年は東京世田谷区の有機農家について発表の予定。また、写 真家、映像作家としても活躍し、昨年『ロドチェンコ・ルーム・プロジェクト』でグッドデザイン賞審査委員長特別 賞を受賞。

 

ページの先頭へ
ニュースプログラム開講記About usサイトマップ
(c)2003 kaze-travel co.,ltd.