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[特集・木]巨樹を描き続ける画家
「種蒔き桜」、「子育て銀杏」がある。その桜の開花で稲の種を蒔き、乳の出ない母 はその銀杏の樹液で子を育てたという。日本人の自然観の底流に宗教と一体となった 自然への敬愛があった。大正初期に本多静六博士が調べた巨樹銘木1090本のうち、 森林総研によれば平成10年に60%以上が失われていた。 奥多摩は巨樹の里である。平岡画伯が奥多摩に移り住む契機となったのは「倉沢のヒ ノキ」だった。

 

 

 
 
 
●添乗記 [2003-5-31開講]  報告者●石橋

当日は台風4号の影響でしょうか、奥多摩のピンポイント予報より雨脚はいくらか強く、傘を差しての巨樹詣でとなりました。 「倉沢のヒノキ」は、今は住む人のない集落跡への径を登り切った尾根で私達を待っていました。 樹齢1200年とも言われるこの樹は、巨体を支える根が尾根をわしづかみにしてしっかと見下ろしています。 多くの苦難と闘ったことが、そのよじれた姿や躯体に残る深い溝に刻まれています。

案内して下さったのは、ここからさらに奥の日原(にっぱら)に移住した画家の平岡忠夫さん。 「巨樹の会」を主宰しています。2000枚の巨樹の絵を描き、74才の今、3000枚を目指して全国を駆け回っています。 何故、それほどまでに巨樹にとらわれるのか。廃校となった小さな小学校の校舎が平岡さんの自宅です。 「音楽室」や「理科室」と表札の出た仕事場で、平岡さんがこれまでに調べて樹種毎にプロットした畳2枚分ほどの地図を広げて、お話をうかがいました。 平岡さんはその巨樹のことを知るため、その地方の歴史や古文書にあたります。まるでその樹が見てきた数百年を辿るような作業です。 そうすることで、その樹の生い立ちや環境を理解し一層愛着をかき立てるのだと思いました。

全国の巨樹は年々急速に失われているそうです。それは日本の歴史の証人が消えていくような寂しさがあります。 平岡さんは台風被害の地滑りで裸地となった御蔵島の植林や、巨樹に避雷針を付けること等、視野の広いエネルギッシュな活動にも奔走しています。 平岡さんの熱気が伝わったのか、帰りのバスの中は和気あいあいとメモを確かめあったり、平岡さんの活動ぶりについてもちきりでした。 雨に洗われ霧に見え隠れする深い山々の緑に、「日本は美しい国だ」とあらためて思いました。

 

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