高野山にはかつて、七つの登山口があった。
高野街道西口、京街道不動坂口、竜神街道湯川口、熊野街道相浦口、同大滝口、大峰街道東口、大和街道粉撞口などであるが、現在は南海線とケーブルカー、そして車でも手軽に登れてしまう。しかし関東からの道のりは、やはり遠かった。
川崎先生の高野山シリーズ第二回目、「高野山・奥の院で森林浴と歴史散歩」が5月17日に開催された。集合場所は奥の院参道の入口である「一の橋」のたもと。川崎先生は、改良服(友人の真言宗の僧侶に聞いたのだが、、、)に輪袈裟、足元は白足袋に草履といういでたちでお出でになり、私どもに緊張感がはしる。まずは、奥の院の森について触れ、高野六木の説明をしてくれる。杉、檜、高野槙(良い香りがし、枝を手折り墓前に奉げる)、樅、赤松、栂の六つの木々により構成される森は、もっとも杉の木(5〜600年?)が多く、とても背が高い。そして、ツツジ、シャクナゲ、シャガ、チゴユリ、スミレなどの初夏の香華に彩られた参道はまさに清浄な空間。供養塔、歌碑。句碑、町石などが立ち並ぶ参道を歩き、「中の橋」を過ぎ「御廟橋」に至ると、そこから先は” いまだおわしますなる”お大師さまの御廟の領域。即身成仏をとげていまだに生身のままに生きている、御大師さまにお食事をお供えし、伸びた頭髪を剃る儀式もあるという。
この広大な墓域と御廟について司馬遼太郎さんは、“街道をゆく 9 高野山みち”でこう書いている。
「あの墓域は、大名の家々の五輪塔や石造の廟舎などを一つずつ見ていくだけでも飽きないし、こういう道楽を競い合った江戸期の大名というものの手持無沙汰ぶりがかえっておもしろく思われる。当然、家々には菩提寺があるのだが、わざわざ高野山の山上にも、当時の一種の強制として墓を造営させられたのである。」と。
御供所で昼食、玉川を渡り、燈籠堂、消えずの火そしてご廟をお参りし、もとの参道をゆっくり戻り「一の橋」で解散。約、5キロの道のりを川崎先生のゆったりと落ち着いた解説で巡り、心地よい疲れの中で講座は終了。
余話として、
講座修了後、宿泊する方々が予約している宿坊に歩いて向う途中、川崎先生が苅萱堂と金剛三昧院を案内してくれた。特に金剛三昧院のシャクナゲの森は素晴らしい、の一言につきる。盛りはわずかに過ぎたとのことだが、みごとな満開の花に見とれてしまう。
宿坊は、川崎先生が高野山大学時代から止宿していた「蓮華定院」。真田家(六文銭)の菩提寺で、塵一つ無い綺麗な庭と端整な屋敷で、山上の嵐気をたっぷりと満喫することができた。ご本尊は阿弥陀如来で、英語、ドイツ語と堪能なご住職がおられるため、外国のお客さんも多かった。食事はもちろん精進料理で、ビールも般若湯も呑める。
この宿坊では、朝夕の勤行に参加することができ、夕勤行では呼吸法と瞑想(約1時間)をし、阿弥陀如来根本陀羅尼と大師御宝号光明真言が唱えられ、朝勤行では礼文(節回しがわらべ歌の原型のようだ)と理趣経が唱えられる。真言のお坊さんの声は美しい。
翌日は金剛峰寺、大塔、金堂を巡りケーブルと南海線にて九度山駅で降り、真田庵、御大師さまの御母公をお祀りし高野山の政所でもあった慈尊院を訪ねた。そして、作りたての”柿の葉ずし”の店に寄る。
同行した、風のスタッフ・平山の写真を載せました、きれいですよ、、、。
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