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[民俗・宗教]奄美で島唄をきく〜加計呂麻で唄遊び〜

ヤポネシアの根っこ(故島尾敏雄氏)と言われる琉球弧の奄美は、独特の裏声(うらぐい)を使ったしま唄の宝庫である。しま唄の源は、万葉の歌垣にまで遡ると言われている。東シナ海と太平洋の風濤に洗われたその歌は、父母未生のころを感じさせる。琉球支配や島津統治時代の苦しみや悲しみ、遊び、祈り、喜び、誕生、別れを唄い継いできた人々の心が、奄美の風土をやさしく覆っている。唄あそび(あしび)が無くなりつつある今、その復活を願う坪山豊先生の講座と案内で、集落ごとに違う唄いかたを実際に感じてみたい。加計呂麻では坪山先生と渡連の集落の方々と唄遊びを楽しむ。

●添乗記 [2003-05-23公開] 

昨年の十一月に続き、二回目の「島唄」の講座。相変わらずの雨模様で、お日さまにはなかなかお目にかかれない。多雨の奄美とは聞いていたが、前回を含め、日が射したのはわずか数時間だけであった。そのようなうっとうしい空模様の中でも、心にしみいる島唄を坪山先生は聞かせてくれる。奄美の島唄は大和と琉球の狭間に位置する独特の節回しと、メロディが私たちに遠い旅をさせてくれる不思議な唄なのだ。あの独特の裏声(うらぐい)の発声法は、通常の調弦のイチオクターブ高い”レ”の音からひっくり返る、と聞いたのだがはたしてあっているかどうかは自信がない。けっして昼から呑んでいるわけではないのだが、奄美にいるといつも黒糖焼酎の心地良い酩酊状態が続き、夢の中にいるのではないかと錯覚させられる。

さて、加計呂麻を迴り島尾さんの文学碑を訪ね、古きわが民族の愚かしさを実感させられ、唄袋の宇検村に渡る。圧巻はカンツメの碑での野外ライブ。坪山先生もここで謡う(カンツメ節)のは初めてとのことで、南日本新聞(鹿児島)の記者が碑のところで数時間も待ち、必死に写真を撮影していた。カンツメというヤンチュ(一種の奴隷)階級の娘さんの悲しい実話の唄を、この碑の前で謡うのはタブーとされてきたそうだ(過去に謡った唄者もいるとのこと)。坪山先生は動じる様子もなく、供養のためと三味線を弾き始める。心なしか相方の唄者、皆吉さんの声がふるえている。碑を離れバスに乗車する際、運転手さんが塩をかけてくれ、焼酎でお清め。

晴れていれば東シナ海の夕日が楽しめるのだが、曇天の荒々しい海を眺めるだけで名瀬に戻る。夜の郷土料理の店では、最後に他のお客さんも混じって、軽快な六調子でしめくくる。東京に戻っても耳の奥には、あのもの悲しい島唄と三味線の音が残っていて、四五日は頭の中がふやけているような気がするのは、私だけなのだろうか。

 

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