染井吉野は東京の「染井」という庭師が大島桜と緋寒桜を交雑して作り、当初、「染井の桜」で売り出したそうですが今一つ流行らず、「吉野」の文字を入れたそうです。吉野の桜は山桜。染井吉野より山桜の柔らかな風合いを好まれる方も多いかもしれません。小動物にとっても山桜の方がうんと恵み多いそうです。
今回の「吉野の桜と芋山」。解説をお願いした吉野町文化財保護委員副会長の桐井雅行氏は、長年吉野の歴史を研究し、『吉野桜物語』等の著作に残しておられます。吉野の桜が文献に登場するのは古今和歌集からだそうで、その後、西行が新古今和歌集にうたったことが知られています。この桜は、山岳修験の祖とされる役行者が吉野山に修験道の総本山・金峯山蔵王堂に開き、蔵王権現を祀り、共に桜を植えたと伝わるそうです。やがてご神木として信者が一本一本手植えていった。それは樹木の生理上、活着のよい冬に植えられていった。そんな話を伺うと、凍える手で一心に何かを祈りながら桜を植えた人の面影が浮かぶような気がしてきます。
そんな思いを抱いて眺めると、風景が明晰に見えてくるような気がするから人間の意識とは不思議です。満開の桜の下を歩きました。
緑濃い吉野杉の狭い谷の奥に一郭、空気までが紅色と薄桃色に染まって見える桜の別天地があります。これが吉野かと実感します。
吉野は、殊に吉野の桜は、人と濃密にかかわって生きる自然だろうと思います。この桜の一本一本に託された人の想いを考えれば膨大で、後世にもまた常に一本一本に気を配り育て受け継ぐ人がいて、現在も、下草刈り・木々を払い、桜のために相当の手がかけられています。恐らく22世紀もそうで、そして吉野の桜は人に感動を与え続けるにちがいない。日本の誇るべき風景の一つだと思います。
これは余談ですが、この催しの開催日を決めたのはほぼ半年前。過去の吉野の桜の開花データから、桜の適期を推測して決めました。3月になり桜前線が公表され始めると、合格受験を見るかの思いではらはらします。吉野桜はもつか、早いか。好天が続いても一憂、風が吹いても一憂。担当スタッフは毎日、吉野の開花情報を見ては、唸って過ごした半月でした。幸い、中千本から上千本はみごとな桜でした。標高を上げる奥千本の桜はこれから。吉野の桜は山の下から上に1ケ月かけて登っていくそうです。 |